性別の話

モルモットに見える虫、虫みたいなモルモット、煙草によって連続性を保たれた自己意識と性別プレリュード、おじさんと呼ばれる私

 

初めて自分の性別について考えたかもしれない。「自分の性別について考える」って意味が分からないけど。私は女性の体を持っています。自分の性別については以上です。自分の性別についてはそれ以上の事は分からなかった。性別というのは体の見た目が男性、女性、どちらの形を持っているかという事だと思っているので。自分の体に対して、内面的には女性だとか男性だとかいうのには、そういう事もあるのかと理解はできる。心の性について、疑問もあるが。これからもっと性別について、性別についてでなくてもカテゴリは増えるのかもしれないけど、私は、分からないです。

「私が男性になっても好きでいてくれる?」と訊き「うん」という言葉を言うと思ってたけど、その、うんを聞いたら涙がたくさん出ました。

 

私はそもそも体を持っている事が分からない。私と体の関係。鏡に映った自分を自分と思わされる事が分からない。体が怖いです。そういうカテゴリもあるんでしょうね。自撮りをしました。

この写真に写っているのは私です。私のはずですが、私なんでしょうか?今文章を書いているのは私です、とても私。文章を書けるのはこの写真の人の体があるからです。体をたくさん洗ったら体が透明になれば良いのにと思います。手を何回も洗います。

その、見えている体を他の人に見られたくないです。それは私じゃないと思う。でも私か。見た目を悪く言われて、褒められて、それで普通に喜んだり悲しんだりしますが。私は女性でも男性でもないです。女性だけど。人間の体をしているけど、それは私じゃないです。私だけど。体を知られたくない。言葉によっても体を知られると思い、それによって私の体を想像されたり、馬鹿にされたり悪口を言われるのではないかと思い、ツイッターに言葉を書き込めなくなりました。被害妄想で苦しくなります。

人間です。精神の薬を飲んで、掃除をしたり、飲み物を飲んだり、買い物に行ってご飯を作って、人間です。自分が「人間」というのを意識して「生活」をするのが人間という自分を人間にします。人間の私はその活動をすると今私が所属している体の病気のようなものの寛解に近付くからです。人間だ。

人間として生きるならどういう姿が私に沿ってるかというと、まず膨らんだおっぱいが無くて、性器がない、子宮がない、生殖機能がない。無性別。声で測られたくないのでCV皆川純子でお願いします。

そういう話をしていくと結果私は人間でいる事を認められない人間になります。話していたら、自分が球体だったら友達に会いたいのに、という話になってしまった。ジェンダーの話できる人はすごいのかもしれない。人間である自分を認められているって事だもんね。認めているというか、受け入れられている。なかなかそれってすごい事だ。私は人間じゃない人間です。高潔な魂同士で話したい。悲しい。自意識がはっきりしてきた頃から石とかに憧れがありました。

でも人間になります、人間だから!