感動した

マッサージ店でマッサージされて多分感動した

とても良い=感動という解釈なら感動した

 

とても良いならとても良いと言うけれど、その上になると感動とかもっと言語化できないような気持ちはクソデカ感情とかになるのだろうか

こういう時に思うのが、言葉を生み出してそこに思ったことをはめ込むやり方は本当に思ったことすべてを言い切るのではなく細かい部分は捨ててしまうというので 言葉を使うのはその言葉以上にはなれないっていう 一言で「感動」と言っても「感動」以上の情報は無いわけで、言葉を使うのであれば言語化できるものすべてを言い尽くしたい それはそれとしてマッサージ店で感動した

 

マッサージされている時、マッサージ店の店主の子供がかなり元気に一人で喋り続けたり店主に声をかけたりしていて「うるさくてごめんなさい」と謝られたけど別に気にならないので「大丈夫です」と言ったけれど、それと同時にこのうるささに対して子供をどうにかできないのか、静かにしてくれ、うるさくてリラックスできないなどという感情を持つ人の気持ちが浮かんできて、これは人の気持ちのパターンとしてあるものだと思うけど、思ってもないのに思うのってなんだろうな?言葉、こういう時に簡潔に一言でまとめられるものを知っていれば便利だとは思う

凡例や用例…のような言葉が出てきたけれど意味違いで使えなかった

 

昨日自分のブログを読み直したらかなり必死にそしてポエジーに生きていて、こういう感じをどこで無くしてしまったんだろう

文章を書き始めると続きがどんどんと生まれてくる感じも手応えも無くなってしまった

話せなくなったら「幽霊」になると思う

人間としてとか、人間として死ぬとか、実際に死ぬとかじゃなくて「幽霊」になるかもしれない

「幽霊」のイメージをぼんやりとしか持てていないからなんとも言えないけど、でも、話すことができなくなったらなんとなく「幽霊」になると思う

 

盛大に傷付きて〜