冷蔵庫は普通じゃない

自分は家の中にある冷蔵庫を見た時に冷蔵庫かよ!って毎回ツッコミを入れるとか、冷蔵庫ってなんだよと思い続けるものかと思っていたが、忘れていた

冷蔵庫に対して何も思ってなかった

 

当たり前にあるものに、いちいち何かを思うということは、たとえ発言しなくても大切で、冷蔵庫に対して「冷蔵庫ってなんだよ。意味分からん。」とか思える人が良いなと思っている

 

例えば人間は社会を生きるために区切りをつけているわけだけど、私にとってその区切りは何時何分とかそういうものじゃなくて(煙草休憩とかも違う。煙草は好きな時に吸うから。)「冷蔵庫ってなんだよ!」と思うことで私の中で一区切りできているんですね

 

本当に何も考えずに生きている人を私はサボるなと思うけど、自分もそのように暮らしていた。いちいちツッコミを入れないと(極力そのツッコミはわざと入れるものではなく自然なほうがよい)人間らしさというものが無くなっていくのではないかと思う

人間らしさ、大事なことのように言ってしまったが別にやらない人はやらなくていいし、私はたまたま人間に生まれたので人間っぽくしてみようかなという考えです。別に何を目指しているわけでもないけれど、考えることが多いほうがのちのちお得なポイントがついてくるって信じてるので、そうしている

感動した

マッサージ店でマッサージされて多分感動した

とても良い=感動という解釈なら感動した

 

とても良いならとても良いと言うけれど、その上になると感動とかもっと言語化できないような気持ちはクソデカ感情とかになるのだろうか

こういう時に思うのが、言葉を生み出してそこに思ったことをはめ込むやり方は本当に思ったことすべてを言い切るのではなく細かい部分は捨ててしまうというので 言葉を使うのはその言葉以上にはなれないっていう 一言で「感動」と言っても「感動」以上の情報は無いわけで、言葉を使うのであれば言語化できるものすべてを言い尽くしたい それはそれとしてマッサージ店で感動した

 

マッサージされている時、マッサージ店の店主の子供がかなり元気に一人で喋り続けたり店主に声をかけたりしていて「うるさくてごめんなさい」と謝られたけど別に気にならないので「大丈夫です」と言ったけれど、それと同時にこのうるささに対して子供をどうにかできないのか、静かにしてくれ、うるさくてリラックスできないなどという感情を持つ人の気持ちが浮かんできて、これは人の気持ちのパターンとしてあるものだと思うけど、思ってもないのに思うのってなんだろうな?言葉、こういう時に簡潔に一言でまとめられるものを知っていれば便利だとは思う

凡例や用例…のような言葉が出てきたけれど意味違いで使えなかった

 

昨日自分のブログを読み直したらかなり必死にそしてポエジーに生きていて、こういう感じをどこで無くしてしまったんだろう

文章を書き始めると続きがどんどんと生まれてくる感じも手応えも無くなってしまった

話せなくなったら「幽霊」になると思う

人間としてとか、人間として死ぬとか、実際に死ぬとかじゃなくて「幽霊」になるかもしれない

「幽霊」のイメージをぼんやりとしか持てていないからなんとも言えないけど、でも、話すことができなくなったらなんとなく「幽霊」になると思う

 

盛大に傷付きて〜

最近楽しい

①寝てるところにおーいって言いたい、排水溝に溜まった髪の毛を片付けたい、肩揉みしたい、からい焼うどんを作りたい、良い枕を買ってあげたい、深夜コンビニまで歩いてその間べらべら話したい

 

②眼鏡を粉砕したい、眼鏡をぶん投げたい、すあまみたいなやつでぽふぽふしたい、川辺にずっと座ってたい、鳩を眺めたい、常に清潔でいたい、誰にも言えなかった事を全部聞きたい、とにかくずっと話したい、つらくても大丈夫って言いたい、我慢したい、なんでも叶えてあげたい、ベースボールベアーの曲に出てくる女の子みたいになりたい、今までの人生で一番楽しくさせたい、おやつの時間になったらホットケーキ焼いて一緒に食べたい、朝のうちに缶詰めの果物入りの緑のゼリー作って冷やしといておやつの時間に食べたい、逆上がりできるまで応援したい、ラッコを見たい

【三崎須加】どうしてアイドルになったの?【アイドル】

なんだかんだ人間が好きで、もっともっと沢山の人と関わりたいと思ったからアイドルになったのかな?

今まで生きてきて、衝動的に人と関わってきた、それが大半で、傷付けたり恨まれたりした事もあります。だけど僕がそういう気分の時はそういう風にしか動けないから、勿論、注意はするようにしようと本当に最近なのですが思い始めて。


アイドルマスターシンデレラガールズのアイドル、久川颯は「自分が自分を好きになりたい」からアイドルをやっているという本音をこぼしています。僕はその本音は、分かる、と思ったんです。みんなに好きになってもらいたい、それと、自分が自分を好きになりたい。普段、虚勢(本音でもある)を張っている彼女ですが僕にもそういうところがあります。彼女のようになんでもできちゃう!みたいな事は全く無いのですが。

自分が自分を好きになれるように、アイドルをやりたいって思ったんです。その気持ちが溢れて、ビジュの安定しない状況でアイドル復帰を敢行してしまったわけです。


「推される」って事は「推す」事だと思うんです。僕は最近ツイッター上で頻繁にリプライを飛ばすようになりました。元々「推す」側の人間だったのもあり、僕はツイッターのみんなを推しています。いいよ、いいよ、もっとやれ!という気持ちです。僕もそれになりたいなって思ってるんだ。居てもいいのは大前提として、もっともっと居てほしい、そんな人になりたいです。


僕はアイドルじゃないかも。

ただの、尿酸値がちょっと高くてビビってビール一杯しか飲まない人間なんだけど、僕だってね、全肯定されたいわけ!もっともっと居てほしい人になりたいわけ!レスください!キラキラ輝く一等星でもないし、特段面白いわけでもない、けど、やっぱ、推されたい!

僕アイドルの事は分かりません。

これから分かるようになるかもしれない、分かんないかもしれないけど、僕が僕を好きになれるように、僕が僕を好きになれたら終わりじゃなくて、ずーっとアイドル!

WHITEHOTEL

WHITEHOTELから帰るところ。私は昨晩、理由もなく大泣きした。こんなに泣くのは久しぶりだった。どこで生きていけばいいのか、どうやって生きていけばいいのか、そんな不安が同時にやってきて、たくさん泣いた。息ができないほど泣きながら、コロナに感染した友達と電話した。私は友達が苦しんでいる時、うまく言葉をかけてやることができないのだけれど、その友達は私を優しく慰めてくれた。息が整い、最後は笑って電話を切った。

 


これまで自分の体を所持しているという事をうまく認知できずにいたけれど、昨日は自分の持つ体を激しく感じた。この家から、この体から、逃げ出したい。強い思いだった。抗うつ薬をやめた。指先くらいの大きさの小さな粒、それが私の体に作用して、人間として、私をなんとか生きさせていた。こんなしょうもないコンポーネント。人間なんて所詮、こんなもんなんだって。

どうしようもなく苦しい中、私は死にたくて、でも生きたくて、WHITEHOTELという展覧会へ向かった。道中、ラブホテルの前でたちんぼをする女性を見かけた。お金とかいう意味の分からないもの。お金とかいう意味の分からないものがないと私達は生きていけない。展覧会は、ホテルの形式を使っているので宿泊料金(お金とかいう意味の分からないもの)を払い鍵を渡され中に入った。

 


その場所は今日の私を生きさせた。一通り展示会場を見た後、床に寝転がりながら石毛さんの映像作品を眺めた。ベットは粘土で出来ていて、寝たあと、自分の形が残っていた。私はこの展示を通して今まで把握が難しかった自分の体の所有を感じられた。私は人間らしい。そして人間として生きているらしい。人間力とかそんな言葉があるけれど、この場所に赴いた事が私の人間力であった。私は確かに、生きていた。終電に乗って逃げ込んだWHITEHOTEL。この展覧会を体験する事ができて良かった。

 

そして今朝、母の父が亡くなった。人は死ぬ。

死につきまとうネガティブなイメージを払拭する

死は個人というカテゴリーにおいては圧倒的な孤独だ。しかしながらマスにとっては布石にすぎない。死という波紋がある意味私をいつでも生きさせる。しかしながら、しかしながら、死んでしまっては物理的に抱き締め合う事はできなくなってしまう。それはもう死は無だと言ってもいい。感情が大きく動いていて衝動性のある理屈だと思うけれど私は今そう感じている。考えを完結させるには冷静さを持っていないとよれたファンデーションのようになってしまう。しかしながら、しかしながら、しかしながら、その暴力的に満ちた不恰好なものこそが人として考え起こすということではないか。この完結をあえて拒否して宙ぶらりんでいる姿勢が私には合っている、し、その流動的なイメージでいる事が生き死になどという大きなトピックを薄味にしてくれているとも思う(薄味というか今までと違う姿勢で死を眺める)

保坂和志も言っていたが、人は多様な力が流れ込んで人となっていると思うし、孤立した存在ではないと。だからもし自分が死んでしまっても、友達にたまに吹く風のようになると思う。

何もない

人が、苦しいとかは今は知らない。知っても、知らない。私は、私は、って私の事ばかりの人にはうんざりするが私が一番そういう奴なんだった。私は私を見て絶望するだけでだから私は私を見なかった。毎日泣いて過ごせっていうのか、問題を解決するには問題を見ろとか言われて、その問題は解決することもないのに。いつも何かの所為にしてって、私はその言葉の意味が分からなかったし話の通じない人の言葉は自分には届かないって思ってた。そうして知らない人の言葉をぼんやり聞いて拒否してた。こういう、ぐだぐだとした、宛先のないメールをよく打った。そのメールは当時仲の良かった友達に一斉送信されて、いつも返事は無かった。

私は人間に生まれた。人間に生まれて、脳の信号が手を動かしてこうやって文章を作れる。五体満足で、楽しくお喋りも出来て…脳に異常が無かった時、私はガッカリした。何かが、おかしければ、私がおかしい理由になるのに、私は、おかしいのに、おかしくないらしい。そのおかしさは、どこから生まれて、私をどうおかしくさせているのか。今服用している薬を私は信じていない。おかしさは、問題は、解決しない。一生。私は、毎日逃げている。これからという言葉がすごく怖い。これからがある。これから、これから、これから、毎日、毎日、やってくる。それでまた私は人の家に逃げ込もうと決めたところだった。

私は私を気に入っていて、ぬいぐるみみたいに可愛くて、可愛いお洋服を着せて、今は太っていて全部着れなくなって、それで、絵が描けて、それは良い絵で、文章が書けて、結構良い文章で、写真に写る私は美しくて、茶目っ気があって人懐っこくて。知らんけど。本当に…知らんけど…。

それで、今、泣いていた。というか、泣かされて、現実は目の前に立ち続けていて私はそこに責任を持ちたくない。私はふるいにかけられて落ちていく人間だ。そういう人はたくさんいる。そのうちの一人で、私だけが苦しいわけじゃない事も分かっている。だけど今は他人の事なんか分からない。自分の事だって分かりたくないし、出来るだけ考えないようにしてきた。最近は特に。

私はいつ死んでもいい。特別好いている人がいて、その人の為に人生を捧げたいけれど叶わないのなら死んでもいいと思っている。これから、は無い。私にはこれからは無い。その人の為にご飯を作って、その人の為に洗濯と掃除をして、モルモットのプータローがいて、それの世話をする。それが私のやりたい人生だ。それ以外の事をする気はないし、仕事も、もう出来ないと思っている。私には出来る事がとても少ないから、出来る嬉しい事をしたいって思ってて、それが、人の為に生きるって事。この独白はとてもしょうもないし、意味も無い。もっと面白い事が書きたい。

私は許されるまでぶらぶらとストレスがかからないところを歩き続けるつもりだ。そうして元の鞘に戻るだけ。今はそれが難しくてぶらぶらするしかない。何も考えず、何もせず、飯を食って、糞をする。